2001年7月30日、Roanoke島で1937年以来毎夏上演されている、Paul GreenのHistorical Pageant(野外劇)The Lost Colonyを見てきました(この作品については詳細については『ユリイカ』2001年8月号の「ワールド・カルチャア・マップ」で取り上げたので興味があればお読みください)。予想通り、さして面白いものではありませんでしたが、しかしアメリカのリージョナルシアターの現実を実際に目にするのはいろいろと感慨深いものがありました。

7月28日にシカゴのオヘア空港に到着し、空港近くのホテルで一泊したのち、オヘアからVirginia州Norfolkに飛行機で移動し、そこからレンタカーを借りて三時間弱でNorth Calorina州Manteoに着きました。64号→158号→168号→64号。ノーフォーク空港に着いたときは大雨で、視界ゼロに近い中を時速80キロ以上出して高速道路を走っていたときは生きた心地がしませんでしたし、次の日も雨だったら何のためにノースカロライナくんだりまできたのかわからないな、と思いましたが、願いが通じたのか晴れてくれました。

マンテオという小さな町を中心とするロアノーク島はちょっとしたリゾート地のようになっており、もう少し余裕があれば一週間ぐらい滞在して、「最初の植民地」であるこの土地の史跡名所をいろいろ見て回るなかで『ロストコロニー』も観劇する、というのが正しい過ごしかたなのでしょう。けれど大学のスケジュールを考えるとこれ以上早く出発するのは無理だし、Association for Asian PerformanceとAmerican Theatre for Higher Educationという二つの学会に出席するためには長逗留もできずに、今回はせわしない日程になってしまいました。

Entrance of 『ロストコロニー』 Plate of 『ロストコロニー』
劇場の入口 拡大図

しかもじつは明日からのAssociation for Asian PerformanceでResearch Roundtableというセッションがあって、「今お前が研究していることを10分ぐらいでみんなに話してくれ」ということだったので軽い気持ちで引き受けたのですが、その後10分といえども中身のあることを話すためには原稿を作らないとな、と思い直し、しかし日本にいる間はほとんど暇がなかった、という状況だったので、マンテオに着いた日曜日の夜と月曜日の午前中は宿泊先のモーテルにこもって、曾我廼家五郎という日本最初の喜劇団を作った男(これがPaul Greenとならんで私の今の研究対象なのです)についてまとめていました。 午後になって原稿作りにも飽きてきたので『ロストコロニー』が上演される野外劇場に行ってきました。64号線沿いにある私のモーテルから車で10分ぐらい。国立公園の一部となっていることもあって、人もちらほら見かけます。野外劇場そのものは無人で、舞台にあがっても注意する人もいなかったので、舞台袖や大道具置き場までずかずかと入り込んで写真をとってきました。


Stage Seen From Auditorium
客席から見た舞台。座席は二〇〇〇席。海が借景になっている。実際の舞台では実物より少し小さい帆船の模型が海を動いていく。

劇場の外にはVisitor Centerがあり、『ロストコロニー』の上演史などが展示されていました。売店の人に『ロストコロニー』のビデオはないのかと訪ねたら、Greenの遺族が権利を管理しているので販売できないということ。大学で自分の学生に見せたいのだが、と言ったら親切にも管理事務所の場所を教えてくれてそこで尋ねてみるといい、と教えてくれたので、行ってきました。担当者にはすぐに会えましたが、即答はできないということだったので、私も旅行中なので、帰国してからeメールで連絡するということでお互いのアドレスを交換して交渉終了。
Lighting Tower
Backstage
木造の照明塔が上手下手にそびえ立つ。写真は下手側のもの。
舞台裏。こんなところで出番を待っているのは気持ちいいだろうなあ。

ほかにも名所旧跡を巡り歩けばよかったのですが、昼食をとっていなかったこともあり、原稿作りが終わっていなかったこともあり、宿泊先に戻ってきました。途中のチャイニーズレストランでテイクアウトしたのですが、結構おいしかった。アメリカのチャイニーズでおいしいところは(とくにニューヨークでは)数少ないので、ふらっと立ち寄った先がおいしかったのはラッキーでした。 夜になって見に行くと、劇場はほぼ満員。これにはびっくりしました。私は日本から事前に予約していたこともあってほぼ真ん中のよい席でしたが、昼間劇場にいったときもチケットを購入している人も見かけたし、大型バスが何台もきて観光客をはき出していました。一台はSunshine Homeという老人ホームの団体でした。劇場に老人が多いのはブロードウェイとかわりがありませんが、家族連れが多いのも目立ちました。もっともこれは月曜日は子供のチケットが半額ということも関係しているのかもしれませんが、いずれにせよマンテオに遊びにやって来てその一環でやってきている、ということなのでしょう。 Ticket
チケットはウェブサイトでオンラインで購入できる。私の席はちょうど真ん中あたりで見やすかった。

8時30分からはじまり、11時ちょっと前に終わりました。途中の休憩を考えなければ約2時間15分。伴奏の音楽は録音だったのですが、音質が悪く、しかもパイプオルガンの音は明らかにMIDIで出力している(要するにパイプオルガンの音のように聞こえない)お粗末なものだったこと以外は、素人臭さはあまり感じられませんでした。実際には多くの俳優が地元のアマチュアのはずなのですが、みんなそれなりにリアリスティックな演技ができていました。アクターズステューディオのメソッドを中心とするアメリカの演劇教育はいろいろ批判もされてきましたが、こういうのを目の当たりにすると、レベルの底上げという点では確実に効果を上げているな、と思わざるを得ません。

上に延べたように、観客はもちろん芝居好きという感じではなく、上演中も明らかに集中力に欠けていました。興味深いことに、ほとんどの観客は1587年前後にロアノーク島で起きた出来事をよく理解していないようで、ストーリーを追うのに精一杯という様子でした。ナレーター役として歴史家が登場するのですが、Greenの脚本を読むかぎりでは淡々と事実を延べていくように思えるのに、実際の上演ではかなりの熱演ぶりで、かえってナレータ役としては不適なのではないか、よく事情を知らない観客が物語を理解することには役に立っていないのではないか、と思いました。
植民者たちが食料が手に入りやすい南へ目指して旅立っていく幕切れも今ひとつピンとこなかったようで(カタルシスがあるわけではないわけですから)「これで終わりなの」という声が聞こえ、拍手のしかたにも戸惑いが感じられました。私も俳優が全員再登場するのかと思っていたのですが、暗転したあとすぐに客席の照明がつき、観客は帰ることになります。ナレーター役の歴史家も彼らの悲劇的な末路を示唆するだけなので、これが死の行進を意味していたことは多くの観客にとって理解できないものだったかもしれません。
にもかかわらず、エリザベス女王やサー・ウォルター・ローリーといった歴史上の有名な人物が登場する時代劇ということで観客は興味は失わなかったようでした。ブロードウェイで話題になっている作品を見終わったときに必ず観客席から聞こえてくる「素晴らしかった」というような賛辞は耳にしませんでしたが、何らかの文化的体験をしたということにいちように満足しているようでした。リージョナル・シアターという発想はもちろん広義のモダニズムの産物(「人民の演劇」!)であるわけですが、ハイ・モダニズムが想定していたような、至高性の体験としての芸術作品の鑑賞という意義はそこにはありません。むしろ「自分にはよくわからないが、この世の中には文化という素晴らしいものがあって、その維持や生産に自分も一役買っているのだ」という自己満足こそが現在リージョナル・シアターがアメリカの大衆に与えている幻想なんだな、ということがよくわかりました。
1937年のThe 『ロストコロニー』初演成功以来、ノースカロライナ州は州として野外劇の上演で村おこし町おこしをすることに力を入れており、今夏は14作品が州の各地で上演されています。ほかのところもこんな感じなんでしょうか。どうせなら全部見て回りたいとも思いますが、しかしまああと一つ二つ見ればたくさんだという感じもします。