『キャバレー』2001年8月30日
『キャバレー』はいろいろな因縁がある。そもそも私はこの作品が話題になる前に見ているはずだった。当時ニューヨークに住んでいた私は、Roundabout Theare Companyの定期購読会員であり、年間なにがしかのお金を払うと見られる劇団の公演にこの『キャバレー』も入っていたのだ。しかし間違って当日もう一本別の芝居のチケットをとってしまい―それが何だったか今ではもう覚えていないところを見ると、たいしたものではなかったのだ―そちらのほうを優先させてしまった。チケットをあげた友人はとても感激したのでよかったね、と思っていたらあっという間に話題作となってしまった。それからはチケットもとりにくくなってしまったし、何よりもケチがついたような気がして見る気がしなかった。 私は大学でミュージカルゼミをやっているので、時々ゼミの学生を連れてミュージカルの公演に行く。今年はたまたま『キャバレー』の来日公演があったのでそれに行った。しかしひどいものだった。フロリダを中心とするツアー組のキャストだったのだが、どういうわけかやる気が異様に低く、気の抜けたサイダーを飲んでいるようだった。
しかし今夏ニューヨークに来てみて、ブルック・シールズがサリーをやっているというので、しかも宣伝写真の彼女の黒の下着姿が扇情的だったので行ってみた。日本公演よりは数倍ましだったが、映画にはやっぱり負けると思った。シールズはとても器用な女優だということはわかったが、映画のライザ・ミネリのように本当に「キレかかって」いるわけではなく、「キレて」いるふりをしているだけだった。映画のスクリーンからはミネリという人間が本質的に持っている不安定さが伝わってきたが、シールズはそういう危なっかしさをどこにも感じさせなかっ た。彼女は利口で、自分の狂気をうまくコントロールできるのだろう。人間としては それが正しいが、女優としてはつまらない。